彼とお酒を飲みながら英語について語った。
彼から「英語における具体的な目標は何ですか?」ときかれた。
僕は「当面の具体的な目標は、日本に帰るまでに、アメリカのTVでの会話(ドラマなど)を理解できるようになりたい」と答えると・・・
彼は自分の目標は「学会で、自分の研究についてプレゼンや質疑応答が出来ればそれで良いと」答えた。英語を仕事上のツールとして使えることが出来れば良いとのことである。それ以上は必要ないとの考えである。
僕自身も、自分の仕事に関するプレゼンや質疑応答はこなすことは出来る。ただそれがゴールであるのは寂しい感じがする。
アメリカにいる多くの日本人は、生活は出来るし、仕事は何とかこなしているが、自由に英語を使いこなせていないのが事実であろうと思う。特に研究職ではそれが可能であると思うし、それは別の見方をすれば、仕事における能力がすぐれているから、英語がそれ程達者でなくても、認められるのであろう。
でも、僕は物足りなさを感じる。英語をNativeのように話し、理解したいと思っている。日本人の多くもそれを望んでいるのだと思う。
「アメリカのTVを理解できるようになる」というのは、簡単な目標のようで意外に難しいし、私の知っているアメリカに住む日本人の多くは出来ていないようである。
学会で通じるようにというのは、ややDEFENSIVEなゴールなのではないかと思います。今でもある程度できる、、、と。というようなある程度、日本発表者がコントロールできるからです。例えば、プレゼン自体は覚えておけばできるだろうし、質疑も、こっちのペースにもっていくことはできる。
返信削除しかし、やはり自分がまだできていないことを、やるというのがやはり挑戦だと思います。
大学院の1年のとき、日本に関係するクラスをとりました。何か知っているから、成績がとりやすいだろうと。根本的に間違っていたと思います。今考えると。
知らないことだからこそ授業をとることが本来の姿だと思います。
KAZ
KAZ